フランス旅行(ジヴェルニー<モネの庭園>編)
パリから列車とバスを乗り継ぎ1時間少々で、自然豊かな村に辿り着きます。モネが晩年を過ごしたジヴェルニーです。この村には、モネ自らが最高傑作と呼んだ作品、家と庭園があります。
モネが数十年かけて一生懸命造り上げたこの作品ですが、彼の死後は手入れをする人がいなくなり、荒れ果ててしまったそう。しかし、1977年に修復が始まり、1980年には一般公開が始まりました。彼が描いた庭の絵や、植物の種の注文書を参考に修復作業をしたため、完全に再現できているわけではないようですが、非常に近い状態ではあるようです。
チケット売り場は行列ができていて、30分程並びました。
クロード・モネの庭園
モネの庭園は二つに分けることができます。一つは、家の周りを彩る“花の庭”。もう一つは、あの有名な連作「睡蓮」を生み出した“水の庭”。
まず一つ目の花の庭。ジヴェルニーに移住した当時のモネは、絵があまり売れていなく、生活が苦しかったようです。それに加え10人家族!この庭を畑として使い、野菜を育てることで、食糧を得ていました。
次第に絵が売れるようになり、生活に余裕が生まれたモネは、庭造りを始めました。モネにとって庭はキャンバス、そして植物は絵の具。パレットで絵の具を混ぜるのではなく、キャンバスの上で塗り重ねる技法で描いていたモネならではの花の植え方で庭を作り上げていきました。だから、モネの庭を「色の庭」と評した人も居たんだとか。
続いて、水の庭。
あとから買い足した土地に、近くの小川から水を引いてこの庭を作ろうと試みたモネは、近所の住人達から「外来植物が混ざるのではないか」と大クレームを受けたそう。そこで、近所の方々に手紙を出して説得させたそうです。モネが近所の反対を押し切ってでも水の庭を作りたかったのは、この太鼓橋を架けるため。彼がコレクションしていた浮世絵は風景画が多く、そこからインスピレーションを受けたのでしょう。
しかし、次第に彼は睡蓮に目が行くようになります。
そして、睡蓮をより美しく表現するために、しだれ柳を植えます。水面に写りこむ柳を描くことによって、睡蓮が映えると考えたのです。
さらに、水蒸気が発生しやすいポプラの木を植えました。水面に写る霧を描くことによって、睡蓮が強調されることに彼は気が付いたのです。
モネが美を追求し続けたこの場所に、いつかまた行きたいです♪
今回の旅行で、モネについての知識が少し増えました。睡蓮のテーブルコーディネート作りにも挑戦してみたい!
最後はオランジュリー美術館に展示されている睡蓮を載せて終わります。