「この国の民主主義は形だけでいい」のか?
映画『新聞記者』を観た。
感じたこと
*ラスト近くで多田が放った「 この国の民主主義は形だけでいいんだ」という一言が、 非常に印象に残った。現実とリンクしているし、「いいのか?」と問われているようで。
*圧力に屈することなく、正義を貫くのは、今のこの国では難しい。なんとかレンジャーのように守るべきもののために戦う者もいれば、守るべきものがあるが故に戦えない者もいる。大抵の人は後者なのかもしれない。大きな勇気を出さなくても、ほんの少しの正義感があれば真っ当な行動ができる「空気」が、今の日本にはないと思う。
*彼が、主人公の「杉原」(という名字)は「杉原千畝」 を連想させると言っていた。それを大学時代の先生に話したら、先生もそう思った、と。外務省だしね。私は全く気がつかなかった。
*映画を観ていて気になったのが「赤」。
吉岡のカーディガン、マフラー。街の灯り、信号。あらゆる場面で「赤」が目立つ。
それと対比して、内調、杉原の周りは青白く薄暗い。色味が全くない。まるで新聞のように。
*内調でひたすらにTwitterが更新されている映像と、バイクで新聞配達している映像も対比しているように感じて。デジタルとアナログ?でも、新聞も廃れたものじゃないなと思う。
*最後の終わり方はむずむずしたけど、町山さんがそれを言語化してくれていた。
映画はたいてい三幕構成で、1幕目で設定が示され、2幕目で主人公が自分がすべきことに目覚め、3幕目は行動、決戦、結末になる。映画『新聞記者』を観てスッキリしなかったのは3幕目が無かったからだ。でも、今は3幕目を作るのは我々なのだと思う。とりあえず7月21日の選挙だ。 pic.twitter.com/Sfy8piKxTs
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2019年7月4日